
爽やかな一日がそのまま続き夕食は家人と二人きりで久しぶりに裏庭で採った。 青空の下で夕食を採るのは本格的な夏から9月の初めぐらいの天気のいい時でそれはすなわちヴァカンスの時期とも重なりいよいよ夏が来た、と気分が高揚するようでもあり、天気がいいこういう日にはたとえ裏庭だといっても少しはヴァカンスに出かけた気分にもなる。
夏にはキャンピングカーでヨーロッパのあちこちを走り回る近所の老夫婦も表で車を掃除して今年もその準備をしているのだがこれも毎年の通りだ。 こちらはというとまだどこに行くか決めていないけれど、子供二人とその荷物を詰め込んで喧しくせかせかと走るということももうなく、どこに行くにしてももう夫婦二人だけだからどうともなって楽だ。
そこで、どこに行きたいかと家人に水を向けると、何年か前に行きそびれたスロベニアのリュブリアナにしようか、ともいわれ、そうするとオートリアから山を越えていくのだからそれまでドイツで一泊か二泊、オーストリアにも一泊ぐらいキャンプするか道端の安いB&Bに泊まり、スロベニアに入ったらリュブリアナで4,5日それから地中海沿いの海水浴場のキャンプ地で一週間ほどいて戻るというのも可能性として浮かんでくる。
それとも去年のようにまたアルプスを歩くか、それともこの15年ほどそんなヴァカンスの時期に家にいたことがないからいっそのこと何事も面倒ならば家にいる、という選択肢もあるわけだ。 がらんとした町の中を自転車でぶらりぶらり走り日ごろは通り過ぎることはあっても入ったことがなかったような暇なカフェーに入りそこで新聞を読んだりそこいらの人と無駄話をしてもいい。
今週の土曜までには気温が25度以上まで上がり土曜の昼には家人の両親、娘のボーィフレンドの両親を呼んで一緒にここで昼食を採ることになっているからその献立のことや、この間家人が一週間ほどいない間に突然警察官が夕食事に来て銃の保管庫に入りきらない長銃を見つけ、それを収めるための新しい保管庫を買わないとそのうちそれをチェックに来た警官にしかるべき制裁が下る旨の報告がある等々のとりとめのない話になったりする。
食後、隣との垣根の若葉が伸びすぎてぼさぼさになっているから長さ10mに満たない垣根の頭を大きな鋏を両手にはしごの上で1時間ほど刈り取ってその葉や枝を紙の袋に詰め込んだらそれもこの何年もの夏の行事もなっていることを思い出し、そのうち紙袋が一杯になったものを2つ3つ車に積んで市の集積場にもって行くのもこの時期だ。 他の時期にはそうすることがないから集積場の印象にしても夏だけでしかなく雨のしょぼ降る秋や凍る冬などの情景も知る由もない。
そうしているうちに隣家から炭火を起こしてその上でBBQをやっている肉やソーセージの匂いも漂ってくるから否が応でも一層キャンプ場の雰囲気がいや増しだ。 食後にそういった肉の匂いが流れてくるのは食傷気味だから中に入ってテレビのニュースをみるとイランのテヘランで昨日大統領選挙のやり直しを願ってデモをしたその中の女性が銃弾に倒れた、YouTubeから引用された映像が出ていた。 あおむけに横たわり顔のあちこちから血を滴らせたその女性は携帯で撮っているそのレンズの動きに明らかに対応して眼球を動かせているのだがそれは画面を見る我々を追う目であり、彼女はその後すぐ息絶えたとニュースキャスターが伝え、それに添え、明らかに激動するイランの歴史の中で犠牲者のシンボルとして残るだろうと述べた。
そういえば1960年に安保闘争の時に東大の女子学生がデモの中で死亡してから彼女は運動のシンボルとなりその後長く追悼の行進が続いているが、それにもかかわらず果たして日米間の安全保障条約はその後廃棄されることもなく60年代70年代の経済成長、国益の名の下に今も継続され、日本もその後、朝鮮戦争の折に米軍をサポートする目的で設立された自国を守るためだけの実質軍隊としてそれを保持しないという理想憲法にも抵触しそうな戦力を保持、増強し、湾岸戦争後、国際協調として金だけ出しても有難がられないのに懲りて人も出せとその整備と法改定に向けて進む世の中、人はマラッカ海峡から先には関心がないように見える。 そのうち連合国の仇敵ドイツ兵さえアフガニスタンで死んでいるのだから自国もそれに続けと逸るタカ派が出てきているの違いない。 平和目的の兵はすでにオランダ兵と食堂もシャワーも共有するような実績を中東地域で上げている。 準備は整っている。
それにしても政教分離の原則、というのが民主主義の要にもなっているけれど30年ほど前にフランス型の国王を追放してパリからホメイニ師という年寄りを頭にして革命を起こしたイランがそのあまりに右に振れ国連の場で困惑するようなスピーチをし、狂犬的大統領と例えられる人の再選に異をとなえる新たな流れの中で保守の要、宗教上の最高指導者がその責任を問われているのだとコメントがある。 現に勝ったという現大統領は宗教府の審問を受けて表舞台から隠遁しているのだと言われている。 それに、保守、革新両方がアラーは偉大だ、とのシュプレヒコールを繰り返しているから革新派が政権を握ったとしてもそこにはまだ宗教府の大きな力が睥睨している。 だからそこには当分は多文化国家として他の価値観を共有するいう国は形成されないだろう。 すこし振り子が中ほどに戻るだけなのだろうが中間ということになはらない。 そもそも初めから中間というものはないのだ。
政教分離、政治の中に宗教を持ちこむな、でなければ民主主義でない、という声がある。 だからイランは民主主義国ではないと。 まてよ、日本の政治では戦後急に荒業で伸びた宗教団体が政党を作り今では自由と民主政治を標榜する保守政府与党が頼り、長く連立ともいえるほどの政府の一部ともなる勢力にもなっているではないか。 政教分離の原則は守られているとどこかで理屈をつけているのだろうが目を細めて遠くをぼおっとながめながら考えて瑣末なことを捨象してみるとどうも納得がいかない。
日本は民主主義国家なのかと世界に問うと否と言う答えは殆どかえってこないものの、それは近くに大国中国があるからで、この10年ほど世界中に著しく進出しているその強大でさまざまに驚きを見せ付ける世界の地の果てまで人を輸出してきた国のその力の裏に、アジアでいち早く西洋民主主義型資本主義技術立国の日本の中での宗教の影響などは何の程もないのだろう。 太鼓か木魚を叩いているくらいのほうがそのうち世界を制覇するぞと国を挙げて猛進する中華思想の国にくらべるとおとなしく無害なのだからとでもいうのだろうか。
そんなことを考えながらあと半時間ほどで日付が変わる頃、屋根裏部屋の窓から北の空を眺めると地平線のあたりはまだほの明るく天空は既に深い紺色でありながら広重版画あたりの夕焼けの色だ。 夕闇に沈んだ隣家の居間を見下ろすとそこではテレビを眺める人の姿もちらほら見えて深夜と夕闇せまるオレンジ色が一面に混在する今は夏至をちょっと過ぎた、、、、深夜というのか夕闇というのか、、、昔で言えば悪魔が出逢う「逢魔時」「大禍時」で、処変わればそのヨーロッパ版なのか、そういえばシェークスピアの「真夏の世の夢」での精霊が跋扈するのもこういう時かもしれない。 政治の鵺や悪霊などは古今東西常勤常駐なのだろうからそれがたまたま今、中東のアラジンのランプから外に出始めたというところなので、その点、日本の悪霊はうまく国民の大半を食い物と色気、子供の遊びで手懐けており当分は安泰なのだろう。

家人がデイパックのポケットを整理していたら、こんなものが出てきたと言って出したのがマリファナ・ロリーだった。
食後だったので飴など舐める気もしなかったのだが、これはこの間、もう1ヶ月半以上前に家族でアムステルダムを散歩したときにウォーターロー広場で買ったものだ。 観光客も多いところに胡散臭いアンティークの店が並ぶ青空マーケットなのだがその中でドラッグ吸引パイプなどを売る店にあったものだ。
マリファナは数グラムまでの所持や吸引は許可されているのでどの町にでもある専門のコーヒーショップというカフェーに行けば買えるし、多分、合法のコーヒーショップ連に属する店でしか売買の許可が出ていないのだろうから当然この店では普通に売られるマリファナやハッシといったものも見られないけれど普通のマリファナを入れる小さなビニール袋にこの飴を6個入れて5ユーロで売っていたのを見つけどうせまがい物に違いないけれど面白そうだからと一袋買った。
マリファナは薬用として例えば癌末期患者に茶の葉として煎じ飲用することがあるから、そのように煎じたエッセンスを水飴に混ぜて固めてもこのようになるわけで、けれど、そうするとそれは薬用ドラッグと変わりなく、効き目があるかもしれない。 日ごろアムステルダムやロッテルダムの駅、繁華街などに漂っている緑の香りがこれから立ち上がってくるかといえばそうでもなく、どちらかというと茶の系統のハーブのようで、それを舐めている息子の言では「何か違う」とのことでそのうち一つまるまる舐めきっても別段ハイになることもなく、ああ、あの店のおっさんに舐められた、とそういうジョークグッズの自分の分はそのうち試してみようとそれぞれに一つづつ分けて自分の分を袋に戻したのだった。

金曜日は娘の当番なのだがあいにく卒業できて浮かれていて友達どもと遊びまわっているから今晩は息子がそれじゃあ、と南アフリカから留学してきた学生に習った現地の料理をやってみるか、と台所でガタガタやっていた。
屋根裏部屋で日本のニュースをネットで見ている鼻先に日頃とは違ったタイプの匂いが下から漂ってきてはて、魚ではないのははっきりしているけれど、さて、肉ならどんなものだろうか、多分羊が混ざっているのだろうと想像した。 肉なのだが大きな切れ目を脂で焼いたものではない。 多分鍋料理なのだろうがヨーロッパ系の匂いではなさそうで何か煮込んだような香りの様でもある。
下に降りたら鋳物の厚鍋が台所のシンクに空になって転がっているからそれで肉と野菜をいためて薬味を加えキャセロールに移してオーブンで焼いているようだと分かった。 それに細長くぱさぱさのインドネシア米にレーズンを混ぜたものを別鍋で炊いてある。
ちょっとオーブンでの焼き方が浅かったというものの薄っすらカレーの香りする黄色にインゲン豆の緑が対照的でそれは南アフリカの国旗の色でもあるのだけれど今晩はそこにパプリカの赤を加えてジャマイカのラスタファリアの色だと息子はのたまう。
ローリエとターメリック、それにナツメグに薄いカレーが混ざればこのようになるのだろう。 サワークリームに牛乳少々、ジャガイモかと見えたのは酸味の強い青りんご、グラニースミス、スミスおばあちゃんだった。 こういうキャセロールものの冬なら赤ワインだろうけれど夏の今なら同じく南アフリカの白ワイン、シャドネーがいいように思う。
南アフリカ観光局サイトのボボティー紹介コラム
http://www.south-africa.jp/news/?id=00000054

2008年 6月 17日 (水)
一週間というのは早いものだ。 ただ一人だけ家に居る、というのも日にち、時間の感覚をなくすものだということが分かる。 特に何もすることもなく本や新聞、テレビ、ネットを眺めているとすぐに時間が経つ。 とりわけ夜中に起きていて朝が充分明けたころに寝床につくという暮らしをしていると一般の朝、というのが当方では午後の1時、2時という感覚になる。
天気がよければ庭にデッキチェアを出して、陽は当たるけれど涼しすぎないというところに寝転んで本を読んでいればじきに夕食の準備をしなければならなくなる時間になるけれど冷蔵庫や物置には2日3日買い物をしなくともやっていけるようなものがあるから一人だけのオサンドンなど高が知れていて、だからずるずると本の面白さに惹かれて普通の店が閉まる6時を過ぎていても、この時期いい天気であれば11時ごろまでぼやっと明るい夏だから夜ということもついつい心から外れ、取り立てて急ぐこともない、もし必要なら9時ごろまでスーパーが開いているじゃないか、というような気にもなり結局冷蔵庫の中をゴソゴソかき回し適当に喰えるものをつくり鍋を居間に持ち寄ってテレビの前で一人ぼそぼそ喰うといった態に収まる。
どうしたことか今まで約20年ほど、家族4人が毎日夕食の卓を囲んでいたのがこの1、2年でそれが3人になり二人きりになり、というようになれば卓を巡る雰囲気が大きく変わるものの、それでも一人きりで喰うとなると夕食社交性というような要素の最小限度、1というのが大きく質的転換をもたらすようで、とても一人で食堂の卓につく気もなくなりテレビディナーと成り果てる。 もし家庭になんらかの変化があり一人だけで住むとなるとそのときの日常の夕食の情景がここにある。
今朝、5時を回って寝床に入り、7時半に目覚ましを二つかけておいたのにそれがまったく耳に入らず目を覚ましたら午後2時だった。 それでも別段支障もあるはずもなく表を見たら車がない。 裏庭には息子と娘の自転車が置いてあり二人で家人をフリースランド州のハーリンゲンのフェリー埠頭まで130kmほど走って島から戻る家人を迎えに行ったのだった。
5時前になったのでそろそろ子供たちも戻るころでもあるしもしかしたら娘のボーイフレンドも加わるとなると一挙に5人分のおさんどんをしなければならないから、と算段して近くのスーパーに出かけひき肉を1kgと熟れたマスクメロンを一つ買って家に戻れば丁度車が着いたところで息子はそのまま友達と町に出るといって出かけ娘は、ボーイフレンドは風邪気味だからそれを看に帰るといい、家人は家人で遅い昼をさっき道々のレストランで採ったというのでそこで切れた私は、予め何故それを連絡してこなかったのかとその無神経さをなじり一人で食事を終え、そのあと家人と二人で市立劇場のコンサートに出かけた。
久しぶりの古典的な劇場でヴォーカルジャズを聴いた。
プログラムは8時半から休憩なしの約2時間だったから劇場側もこれを考慮してか各階の絨毯を敷き詰めたロビーに無料の各種飲み物をそろえて歓談の場を設けていた。 10時半といっても外は明るくとてもこのようなコンサートが済んだ後というような雰囲気にもならず二人で暫くそこで家人が一週間ほど過していた北の島での実験劇フェスティヴァルとでもいうような催しのことや近所のことなどをぼそぼそと話したりして、そのあとぼちぼちとまだ明るい中を家に自転車を漕ぐというのもこれでまた妙な気分がした。


